創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2005年01月22日の日記
リタイアード・オフィサー
沼津に住んでいる高校時代の友人Sから電話があった。「東京からYがゴルフに来るけど一緒にどう?」との誘いだった。彼らは同じ大学に通い、高田馬場に下宿していた。まともに机を据えたら寝る所も無いため煎餅布団の上にリンゴ箱を置いて机代わりにしていた三帖間で、チキンラーメンに残飯をブッ込み、一個の溶き卵を掛けたおじやを回し食いしたことが一瞬脳裏に浮かび、こみ上げてくる懐かしさを抗しきれずに受話器を置いた。
二人は共に中小企業の社長をしていたが、奇しくもバブル崩壊時に会社を閉めた経歴を持つ。いわば列島改造以来の日本経済の発展を底辺で支えてきた企業戦士であり、今は退役軍人である。
すっかり学生時代の気分にゴルフは丁々発止の連続で、腹が痛くなるほど笑い合う極上の時間だった。夕食の席でYの回顧談が始まる。最初は一部上場企業に勤め、同期の中ではトップで管理職になるが、船に鉱石を積み込む仕事の責任者だった時、積載のバランスが崩れて船を沈めてしまったこと。それが心の傷となり、自動車関連の会社へ雇われ社長として転身する。
八十年代の絶頂期には自己の裁量で交際費は遣い放題と栄華を極めたが、九十年代には環境が一転し売り上げは半減。賞与も支払えない年が続く中、三ヶ月分の売り上げに匹敵する手形が不渡りとなり、保険金での補填を目論見自殺を覚悟する。さらにリカバリーのために手を出した株式投資で個人資産までもスッカラカンになってしまったこと。
年齢不足で年金の支給が受けられず、時給千円の臨時職員として図書館の受付係となるが、得意のはずのパソコン操作も女性職員には及ぶべくもなく、長い行列ができてしまう。若い上司から「一ヶ月休んでくれ」と通知を受けるが、時が来ても連絡は無い。その間の焦燥と失意、奥さんとの軋轢。かつて将軍として君臨していた男のプライドは地に落ち、心はずたずたに切り裂かれてしまったと述懐した。
そろそろと腰をあげるYに「たまに来たんだから俺の奢りで歌でも歌っていけよ」とSが誘い、しぶっているYを半ば強引にスナックへ連れ込んだ。
最初は猫のように寡黙だったYの酒のピッチが次第に早くなり次々と曲をリクエストしていく。堅い蕾が急激な昇温で一気に開花するかのように、ハリウッドスキャンダル、哀愁のカサブランカ、お嫁サンバ、と郷ひろみオンパレード。声を張り上げ腰を振り熱唱する姿に、私は遠いバブルの日の埋み火がYの中で再び燃え盛るのをみたような気がした。
ついにはママを引っぱり出し「アッ、チチ・・・」と声を振り絞り、踊り狂い、汗みどろで果てた。そして「こんなの何年ぶりだろう。ありがとう」の一声を残して最終の新幹線で帰っていった。
今は不遇をかこつYを強引を装って誘ったSの気遣い、そして、それに敢えて応えたYの度量。私は心に落ちた芳醇な一滴が染み込んでいく心地よさを味わいながらハンドルを握っていた。翌朝、Sは四国へ遍路の旅に出立した。
2005年01月22日(土)
No.57
(船長)
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