創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2003年01月10日の日記
母の帰郷
月日が経つのは早いけれど、年をとるのはもっと早いと母を見ていると感じます。
昔は私より背が高く、家の中の事もテキパキとしてしまう気丈な人でしたが、最近は物が重くて大変だと、弱音を吐くようにもなりました。
でも無理ないですよね、母も七十六歳ですもの。この年になれば皆そうなんだろうなと、母を見る時がよくあります。
去年の夏、鹿児島の叔母と電話していた母の「もう生きている間に逢えることはないかもね」と言う言葉に急に淋しくなりました。今ならまだ母も動けるし、会わせてあげられると兄に相談をしたら、一緒に行ってくれる事になったのです。義姉は「同居している母の怪我がやっと治ったばかりなので、今回は親子水いらずで行って来たら」と言ってくれたので三人で行くことになりました。
鹿児島は両親の故郷で、母にとっては十二年ぶりの帰郷です。
その夜は叔母の家に泊まり、姉妹仲良く夜遅くまで昔話をしていました。「自分達の親は、まーまーいい顔だったよね。でも私達の顔はブサイクだね」と大声で笑い合っていましたが、私も妙に納得し、思わず笑ってしまいました。
翌日は父の姉が居る水俣へ向かいました。
家は坂の上に建っています。母は登りが大儀そうで「手すりでもあればいいのに」と言いながらゆっくり上がって来ます。玄関に白髪のおじさん?が佇んでいましたが、何と従兄弟でした。もう十何年も逢っていなかったのですが・・・年月が経つという事はこういう事なんだと実感しました。
お墓はさらに上の方にありました。細い九十九折りの坂道を歩いて行くのです。
伯母は母と違って毎日坂道を歩いているからでしょう、八十二歳とは思えないほど足元がしっかりしてしています。足元のおぼつかなくなった母の手を引いて細い坂道を上がってくれたのです。お互いかばい合いながら遅々として登っていく年老いた二人の姿に、私は幼かった頃の兄との時を懐かしく思い出していました。
指宿では砂風呂に入ってきました。
ゆっくりと砂の中で寝ていられるのかなとの想像に反して、砂が熱くて十五分が精一杯でした。前からの願いがかないとても幸せな気分でした。
帰宅前にご先祖様のお墓に旅の無事を報告し、私達三人の旅は終わりました。
心からホッとしたような母の横顔を見て、生まれ育った故郷の景色に囲まれ、鹿児島弁で会話を交わした時間が、母にとって、かけがいのないものだったことを確信しました。
また、いつの日か母を連れて旅に出よう。
2003年01月10日(金)
No.34
(クルーT.T)
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