創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2002年06月01日の日記
東海丸の思い出(もうすぐ船を降りるクルー)
私が初めて東海製蝋にお世話になったのは、昭和33年中学を卒業した時でした。
養父が脳溢血で倒れ働かざるを得なくなってしまったからでした。
その頃の会社は西町の商店街の一角にあり、木造の建物でした。二階に行く階段もかなりの年代物で中央は角がとれて丸くなっていましたから、社員が滑って下まで落ちることもよくありました。
朝一番の仕事は、メリケン粉を溶いて糊を作る事でした。この糊はシールを貼るためのものです。今の仕事からは想像も出来ませんが、当時はこの自家製の糊がなければ仕事が始まらなかったのです。
また、ローソクの詰め場は畳敷の座敷でしたから、座布団を敷き正座をしてローソクを詰めなければなりませんでした。慣れないうちは30分もすると足がしびれて、詰めている手よりしびれている足に神経が行ってしまい仕事の能率が下がってしまいます。新入社員の第一の仕事はしびれの克服でした。
それから、小ローの箱は今引き出し式ですが、当時は蓋をかぶせるタイプでしたので、浅い箱ひとつひとつに輪ゴムを掛けていました。
最初の頃はこんなとまどう事ばかりでしたが、楽しい思い出も一杯あります。
横浜から単身赴任で来ていた小林さん(おじいちゃん)以外は20歳前の若い人達ばかりでしたから昼休みともなれば皆で(と言っても5〜6人?)ワイワイ・ガヤガヤ・・・騒ぎ過ぎて怒られた事もよくありました。あの頃は一日がアッと言う間に過ぎて行きました。
私は今考えると、社会人としての基本をあの頃に学んだような気がします。
そして仕事の楽しさも厳しさも・・・・。
その後、一身上の都合で、東海丸に出たり入ったりしましたが、三度目の正直でやっと落ち着きこの会社で定年を迎えようとしています。
仕事を辞めれば、第二の人生を踏みだしますが、ふと一息入れる時に東海丸のクルーだった事がきっと懐かしく思い出されるにちがいありません。
還暦の 日を待つ気持ち 複雑だ
うれしいような
かなしいような
2002年06月01日(土)
No.26
(クルーY.E)
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