創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2002年07月01日の日記
父 の 戦 死
私は神奈川県横須賀市で生まれました。父が戦死した為、父の田舎の富士宮に来ました。私は当時1歳でした。
9人兄弟の末娘として生まれ皆に可愛がられましたが、9人もの子供を育てた母の苦労は並ではなかったと思います。
その母も昭和55年に心筋梗塞で亡くなりました。余りにも突然の事で深い悲しみから立ち直るのに月日がかかりましたが、その後の兄弟の絆はより一層深まったように思えました。
母は健在中に行きたかった所がありました。父が戦死したサイパン島です。
兄弟達の仕事や健康状態、子供が小さい等各家庭の事情で伸び伸びになってしまったのです。
長兄からサイパン行きの話が出ると皆が賛成しました。
兄弟全員で行けるのは、何よりでした。
「孝行したい時には親はなし」正にその通りです。
平成元年5月でした。母の写真とローソク・線香を鞄に入れ出発しました。
成田空港をたち5時間位で到着しました。
ホテルで少し休憩してから船に乗り軍艦島に行きました。途中、海に飛行機が沈んでいるのが見えました。微かに日の丸が見えました。船の底から、海底が見えるようになっているのです。
島に着くと、壊れた大砲などもありました。皆、思い思いの話をしながら散策しました。
海がきれいで魚が泳いでいるのが見えました。ダイビングするのに良い所らしく、数人の若者が来ていました。私は子供のようにいろいろきれいな貝殻を拾い集めました。
翌日は現地の住民の車で洞窟に案内してもらいました。
岩には銃撃の跡が無数にありました。その一画に慰霊塔がありました。そこで母の写真を取りだしローソクと線香に火を灯し手を合わせました。皆、無言のまま涙・・・・
さらに観光を楽しみ、良い思い出を作り、サイパン島を後にしました。
遺骨の無い父・・・兄がサイパン島の海岸で白い小さな石を拾い持ち帰り、墓地に納めました。皆が安堵しました。きっと母も喜んでいるでしょう。
昨年の米国同時多発テロ事件で、アフガニスタンの兵士の姿をテレビで見た時、ふと父の事を思い出しました。
幼い頃に見た一枚の写真。軍服で銃を持った姿です。
戦争体験記を読んだことも思い出され、複雑な気持ちでした。
二度と戦争の無い、平和な世界が続くことを心から願っています。
2002年07月01日(月)
No.27
(クルーM.S)
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