創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2002年01月05日の日記
少女の一撃
人生には、見知らぬ人との偶然の出会いによって決定的な影響を与えられることがよくある。あれは大学一年の秋のことだった。友人二人と伊豆七島の旅に出た。その頃の私は、実存主義にかぶれ、サルトルやカミユに填っていた。周りに片っ端から論戦を挑み、訳の分からぬ理屈をこね回し一人悦に入っていた。いま考えれば冷や汗が出てくるが、生意気な極みの青二才、人生で一番傲岸不遜な時だった。
夜半、竹柴桟橋を出航した船の二等船室に、やはり三人連れの女子大生が乗り合わせていた。どちらともなく声を掛け合い、今で言う合コン状態。自己紹介から打ち解けるまでに時間は要らなかった。その中に一人、心に掛かる小柄な少女がいた。ブロンドがかった髪はよく手入れされていて適度なカールを描いて細い肩を長く覆っていたし、肌は透き通るようで指の静脈が浮き出ている。幼児期はルノワールの描いたジェルジェットシェルバンティエ嬢のようだったに違いない。化粧は全くしていないのにピンクの唇は生き生きしていて、直視できない眩しさだ。私は密かに胸を躍らせていた。
ビールで乾杯したが、ろくに酒の飲み方も知らなかった私は早々に酔ってしまい、初対面である彼女たちに文学論をぶち始めた。目立ちたい意識が優先して、誰にも意見を言わせないほどの強引さで口角泡を飛ばし、自己陶酔して突っ走ったに違いない。そして「僕は無神論者だッ」と口走っていた。
一瞬の静寂の後、隣の少女が、小さいがしっかりした声で「あなたは神を知っていますか?」と言った。その言葉の意味を理解した瞬間、私の身体を何かが鋭く貫き、顔面から血の気の引くのが分かった。彼女の一言は「あなたの論理は一方的で、対岸にある神に就いての勉強が不足していませんか?」と指摘していた。たしかに、当時の私は神学どころか、聖書すらまともに読んだ経験がなかったのだ。しばらくして、今度は全身の血が一気に滾り、私は羞恥心で真っ赤に染まった。
この事件を機に私の人生は大きく変わった。知らないものを知っているかのように振る舞うことができなくなった。話していて分からない部分があれば、必ず質問して教えてもらう。理解できない言葉やフレーズは躊躇なく辞書を引き、書き留めておいて図書館で調べる。新聞や本を読んでいる時、夜中にふと目覚めた時ですら、辞書を引くのが習慣になっていった。だから、自宅の居間と会社のデスクには数冊の古びた辞書が鎮座しているし、毎日十回以上はそれらのお世話になっている。そして、家族や社員にもそれを奨めてきた。
私はいまでも時折、彼女の夢を見て飛び起きることがある。四十二年前、二等船室で遭遇した少女は、私に、「学ぶ姿勢と謙虚な心」を教えに来てくれた神そのものだったのかも知れない。
2002年01月05日(土)
No.19
(船長)
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