創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2001年01月10日の日記
債権放棄の要請
先日、日経一面に「M建設、債権放棄要請へ」の記事があった。12の銀行から1630億円の債務を棒引きにさせ、経営不振から脱皮しようとの目論である。この1〜2年、私達はゼネコンを主体とするこれらの動きを何回目にしてきたことだろう。それも、数千億円と言う単位の膨大な金額ばかりを。
「債権放棄の要請」なる言葉にはじめて出会った時、こんな日本語があったのかと我が目を疑った人が多かったに違いない。「要請」なる言葉からは「必然、強いる」のような威圧的なニュアンスを感じてしまう。さすればこの言葉「借金を無かったことにするのがあたりまえだ」とでも訳すのであろうか。これまで「債権放棄」と言う言葉は貸した相手が倒産して回収不可能になったとき、万止むを得ず貸借対照表の借り方資産をマイナス処理する受動的結果の意味として存在していた。言わば貸し手側の言語だったはずである。だから借り手言葉として「要請」なる言語と一緒に使われることは無かった。
しかも「お願い」ではなく堂々たる「要請」であることも理解の外だ。これじゃあまるで大家から借りた金を使い果たし「このままじゃあオイラ喰っていけないし、恥ずかしくってお天道様の下を歩けないからさあ、あれは無かったことだったって皆の前で言ってよう」と宣う与太郎の台詞と同じだ。
記者会見で頭を深々と下げる経営陣の姿に、心底からの深謝より単に儀式をこなしているような傲岸と不遜を感じてしまうのは行き過ぎだろうか。私は彼らの心の奥に「銀行さんよ、あなた方だって政府の低金利政策の恩恵で膨大な運用差益を挙げているんじゃないの。それに、いざとなりゃあ公的資金の小槌もあるし、威張ったものじゃあないよ。こんな時は、周りが社会認知してくれるのがあたりまえだ」と不埒な考えがあるように思います。
私は中小企業の経営者として、こんな脆弱で無責任な図式に腹の底から憤りが湧いてくるのを押さえることができません。事業に行き詰まり自分の家はおろか奥さんの実家の財産までも差し押さえられ一家離散のA君。借金の返済を自分の命と引き替えの生命保険で償ったB君など。私の周りには、懸命に仕事をしながらも不運にも挫折し、阿鼻叫喚の修羅場の中でけじめをつけて命を絶った多くの中小企業家がいるからです。やがて彼らにあの世で再会した時、私には説明する言葉が見つかりません。
そして、この問題がもたらしたもう一つの側面も重要です。たしかに大手ゼネコンや銀行が破綻して失うものを数値化して考えれば、債権放棄や公的資金の導入による処理の方が効率的なことは理解できます。しかし、それと引き替えに日本人が長い歴史の集積から築き行動の根としてきた「倫理」の面で極めて大きなものを喪失してしまったのではないだろうか。「借りた物は返す。他人に迷惑を掛けない」言わば「正しいこと。間違った行動」を判断する最も大切な基盤の一角を崩してしまったように思う。私は今後の経済活動や青少年の行動に今回のことが悪しき重大な結果を招くような気がしてなりません。
現在の政治は目先の数値や効率を優先した選択をしています。しかし、数値にはできないもの、経済的効率より先にあるもの、人間として日本人として侵してはならないものを優先して考える政治家が無いことは悲劇だ。
2001年01月10日(水)
No.7
(船長)
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