創業明治十年 東海製蝋
社員語録
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2000年05月14日の日記
母と里子
5月の連休明けの月曜日だった。4月に出した新製品のクレームの対処やら、溜まったルティーンワークの処理に没頭していた時「お母様のようですが・・」と女子社員が電話を回してくれた。高齢であること、普段は会社に電話を寄こすことなど滅多に無いことから、何か大事があったことを感じて身構えた。
「私が里子に行っていた家の姉さんが亡くなったんだよ」気を落としているようだが、声はしっかりしていた。「里子?」私は母が唐突に発した言葉の意味を一瞬理解できずに当惑した。何故なら、母については鵠沼の旧家の5人姉妹の末っ子で一番可愛がられて育った我が儘娘、といった程度のことしか聞かされていなかったからだ。
「それで、明日が葬式なんだけど、あんたの車に乗せていってもらいたいのよ」「えっ、明日は来客が3件入っていて、夕方から会合も2つあるし・・」「あぁ、そう。突然のことだし。それじゃぁ無理よね・・」と電話は切れたが、ひどい落胆が目に見えるような向こうの雰囲気だった。親戚でもないのに?との疑問は残ったが、母のいつに無い様子に押された形で急遽キャンセルの電話を入れてもらい、翌朝早く鵠沼に行くことにした。
車中での話しによれば、母が生まれた時、母親は病気がちで母乳がまるで出なかった。そこで、たまたま乳児を亡くして失意の底にあった里親に乳をもらいながら育てられたのだそうだ。その家も4人姉妹で、母は里親とその家族の愛情に包まれて幸せな幼児期を過ごした。同年代の姉妹との日々は胸躍る愉しさで充ち、その交流はそれぞれが嫁ぐ日まで永く続いたと言う。
葬式から火葬場まで、80をとうに越え、それぞれ老いて小さくなった母と里の姉妹たちは、まるで生まれたばかりの子犬たちのように身を寄せ合い、胸をふるわせ、悲しみ、愛おしみ、支え合い、文字通り手を取り合って骨を拾っていた。私はその慈悲深い、静かで自然なありように声を飲んだ。
世界は、速く、強く、大きくの名目の下に変化が急だ。資本主義の市場経済は弱肉強食のジャングルロゥを金科玉条に、全てを飲み込み驀進している。一方、市民生活では索漠たる事件が絶えない。私たちは利便や効率優先の選択をして久しい。しかし、今もこの選択肢に間違いはないのだろうか。掛け替えのない人生、一度しかない貴重な命の時を精一杯生きるべきの観点から心を洗い直し「何を一番大事にすべきか」の優先順位を真剣に考え、議論を交わさなければならないターニングポイントに差し掛かっているように思うのだが如何なものであろうか。
「里親。里子」なんて美しい言葉、なんて優しい慣わしだろうか。私は貴重な1日の業務と引き替えに、失われていくすばらしい日本語とその心に出会い、流されている自分を顧みることができた。母よ、ありがとう。
2000年05月14日(日)
No.3
(船長)
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